【2007.1.30 アメリカ周遊その後】
アメリカから帰ってきて、私は地元の酒の量販店に就職した。この会社には私と同じ年にワインアドバイザーの資格を取得した方がいて、その方とのつながりがきっかけだった。 とは言え、地方の酒量販の厳しい現実を目の当たりにし、また元々それほど体力があるほうでもなかったので、結局その会社は一年と数ヶ月で退職することとなった。 GMSにいたときは食品の現場に居たときに多少気になることがあった程度の腰痛が、コルセットを巻かねば日常生活にも支障が出るほどになっていたこと、実家の方で、多少人手を欲しがっていたこと等、さまざまな条件が重なったことも、退職のきっかけとなった。 2002年の秋、その会社を退職し、実質「酒のプロからのリタイア」という形になって、私はこれから何をしよう、と途方にくれていた。 実家の方に関して言えば、一時的には人手を必要としていたものの、それはあくまでも一時的なものであり、継続的なものにはならなかった。(今でも折に触れては手伝っているが) 酒販業は、地方では体力的に無理だな、と痛感していたので、とりあえず一旦そこから離れてみよう、という思いもあった。とにかく、その時の私は長年親しんできた「接客業」と言うものにも疲れていたのだった。 あても目標もないままに、職業安定所で目にしたのが、職業訓練校のパソコンのコースだった。とりあえず、PCに関しては多少の自負はあったものの所詮自己流で、これはいい機会かもしれないと思った。また、その間に収入を気にすることなく、ゆっくりと学んで考える時間がある、ということも有難かった。 幸いに試験に合格し、私は久々の「学生」になったのだった。
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